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世界が見えるトピックス 開発途上国レポート

佐々木則夫さんのブラジル訪問~遠くて近いブラジルと日本の繋がり~

ブラジルと日本。遠くて近い両国の繋がり

ブラジル移民の歴史

街中で一際存在感を示す大きな鳥居。この風景、まるで日本のもののようですが、実は遠く離れたブラジルの写真です。
どうして鳥居がブラジルに?
今回の視察ではまず、そんな日本とブラジルの繋がりを探るため、サンパウロの東洋人街を訪れました。

日本からすると地球の反対側に位置する国、ブラジル。リオデジャネイロのカーニバルやコーヒーが有名で、2016年のリオオリンピックでは世界中から大きな注目を集めました。

日本の約23倍、南アメリカ大陸の約半分を占める広大な国土には、約2億人の人々が暮らしています。
そしてブラジルは、移民の国。
1500年にポルトガルの植民地になって以降、様々な国から多くの人が海を渡ってブラジルにやって来ました。
なかでも「日系」と呼ばれる日本からの移民で構成される人々の数は、現在約190万人とされていて、世界最大の日系コミュニティが形成されています。
鳥居のあるサンパウロのリベルダージ地区は、東洋人街と呼ばれ、日系コミュニティの中心地。日本食レストランや日本雑貨のお店が軒を連ね、まさにそこは「もう一つの日本」でした。

左:信号機は鳥居デザイン/右上:日系の方々が販売していた今川焼。「まさか地球の裏側で今香川焼きを食べると思わなかった」と佐々木さん。/右下:店舗には日本のものがたくさん左:信号機は鳥居デザイン
右上:日系の方々が販売していた今川焼。「まさか地球の反対側で今川焼きを食べると思わなかった」と佐々木さん。
右下:店舗には日本のものがたくさん

では、どうして日本人は遠く離れたブラジルに渡ったのでしょうか。
移民の歴史を知るために、佐々木さんは「ブラジル日本移民史料館」を訪れました。

ブラジル日本移民史料館ブラジル日本移民史料館

明治維新で社会体制が一変した日本では、多くの人々が職を失い、苦しい生活を余儀なくされていました。そうした中、海外に出稼ぎに行く日本人が現れ、1868年ハワイ、1869年アメリカ、1899年ペルー、そして1908年にブラジルへの移住が開始されました。初めてのブラジルへの移民は781名。神戸港から「笠戸丸」に乗り、南アフリカを経由して60日かけて到着しました。

ガイドで日系二世の武田さんに説明をしていただきながら館内を見学ガイドで日系二世の武田さんに説明をしていただきながら館内を見学

当時のブラジルは奴隷制度を廃止したばかりで人手不足。日本からの移民はコーヒー農場で小作人として雇われ、大変過酷な生活を強いられたということです。ポルトガル語もわずかしかわからない中、給料日は一年に一回で、生活用品の購入だけで赤字になってしまうほどの薄給。
ブラジルで生まれ、小さいころから農場で働いていた武田さんは「早朝4時に鐘が鳴って起床する。蛇が出る、虫が出る、服の中に砂が入る。嫌な作業ばかりだけれども、やるしかなかった」とおっしゃっていました。

勤勉に働いてお金を貯め、小作人を脱した移民たちは、コーヒー農場を辞め、原始林の開拓を始めます。ワニや豹など危険な猛獣が出る中、畑をつくろうと懸命に作業に取り組みました。やがて移民たちは、綿や胡椒、日本から持ち込んだ野菜の耕作を始め、その繁栄の様子は「緑のベルト」と称えられるほどだったといいます。

左:開拓に用いた道具
/右:移民の方々が原野の開拓を進める上で脅威となった野生動物左:開拓に用いた道具
右:移民の方々が原野の開拓を進める上で脅威となった野生動物

その後、日系人の方々は、時代の潮流に翻弄されながらも、懸命に日系社会を発展させてきました。その勤勉さとブラジル社会における功績は高く評価されており、“Japonês Garantido(日本人は保証付き=信用できる)”と言われるほど。現在、多くの日本企業がブラジルへ進出していますが、その地盤は、紛れもなく日系人の方々の努力によってつくられたと言えるでしょう。

史料館の見学を終えた佐々木さんは、「戦前・戦後の移民の境遇・苦労の歴史を学び、過去の移民のルーツから、今現在の日本とブラジルの関わり、絆、そして両国の未来を垣間見ることができました」と話していました。

県人会の方々との交流

また今回の視察では、佐々木さんが所属する大宮アルディージャの地元埼玉と、出身地である山形の両県人会と交流を持ちました。
県人会はブラジルに渡った人たちが出身県ごとに集まって作ったもので、開拓先没者の慰霊やスポーツ大会、日本祭りへの出店など、様々な活動を通じて、日系移民コミュニティの中心ともいえる役割を果たしています。

今年で60周年を迎えるブラジル埼玉県人会の尾崎会長とブラジル埼玉県人会の尾崎会長と

1958年に発会したブラジル埼玉県人会。中学生の時から海外に興味を持っていたという尾崎会長は、22歳のときブラジルに技術移民としてやって来ました。何よりも苦労されたのは、医療体制だったとのこと。生まれたばかりのお子さんを亡くし、「ブラジルの厳しさを痛感した」と当時を振り返っておられました。

「埼玉県人会は親睦だけが目的ではなく、新しい活動をたくさんやっていきたいと思っています。スポーツ大会への参加や埼玉県への留学制度、JICAボランティアも巻き込んで活動していますし、東京オリンピックにも何らかの形で力になりと考えています。日本の方には、治安が悪いと尻込みされるのではなく、もっともっとブラジルの良さを知ってほしいです」と力強く語られました。

ブラジル山形県人会にて、篠原会長ら日系一世の方々とブラジル山形県人会にて、篠原会長ら日系一世の方々と

ブラジル山形県人会では、山形県尾花沢市出身であり、県民栄誉賞も受賞されている佐々木さんを、多くの日系一世の方々が出迎えてくださり、遠いブラジルの地で「地元」の話に華が咲きました。
毎年各県の特産品を出展する日本祭りでは、山形名産の芋煮をつくり、山形の民謡を伝承していくため民謡大会を開催しているとのこと。さらに山形県人会には10人ほどの若者が在籍する青年部があり、SNSでの活動が最近活発になってきているということです。
この日の視察について佐々木さんは、「移民という人と人との繋がり、歴史の積み重ねは言葉では言い表せないものだと思います。日本とブラジルは、とても深い関係にあるのだなと思いました」と、感想を述べられました。

2008年はブラジル移住100周年にあたる「日本ブラジル交流年」であり、2015年は日伯外交関係樹立120周年でした。ブラジルは、日本とは地球の反対側という遠い位置関係にはあるものの、大変近しい国とも言うことができるのではないでしょうか。

今回の視察で出会った日系の方々は、現地の生活に順応するため、また日本の文化や伝統をブラジルの地で代々引き継いでいくために、様々な苦労を重ねられてきたことと思いますが、皆一様に、ご自身のストーリーを、ユーモアを交えて大変楽しくお話ししてくださいました。
日本とブラジルの深い繋がりは、こうした日系人の方々の心によって支え保たれ、だからこそ両国は、「遠いけれど近い国」でもあるのだと、気づかされました。(山部)

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