プロジェクト

「なんとかしなきゃ!プロジェクト」が行うオリジナルのプロジェクトや、著名人インタビュー、イベントレポートなどをご紹介します。
SOS AFRICA
イベントレポート
Breath for Peace

藤原紀香さんのカンボジア訪問

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2011年11月、「なんとかしなきゃ!プロジェクト」のメンバーであるヴォーカリストの鈴木重子さんが、20年以上続いた武力紛争により開発から取り残されてきたウガンダの北部地域を訪問しました。現地のミュージシャンとの交流や日本の支援でつくられた橋や学校などを視察し、現地の人達から様々な話を聞いてきました。
鈴木さんは、「なんとかしなきゃ!プロジェクト」の中で平和の歌を集めるプロジェクト「Breath for Peace」を立ち上げ、戦いの地で生まれた歌を通じてその地にいる人達と同じ気持ちを共有していこうと呼びかけています。今回、実際に現地を訪れ、その思いを一層強くするとともに、人生初めてのアフリカから予想以上に大きな元気やパワーを得たようです。
鈴木重子 SUZUKI SHIGEKO
ヴォーカリスト。いのちの響きをつむぐ歌い手。1995年メジャーデビュー。国内の活動に留まらず、アジア各地やニュージーランド等の海外公演も行う。平和の歌を集めるプロジェクト“Breath for Peace”の発起人。なんとかしなきゃ!プロジェクトメンバー。
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Breath for Peace

 

ウガンダ北部地域

ウガンダ共和国はアフリカ東部に位置し、首都はカンパラにあります。現在は治安・政情とも安定していますが、1962年に英国から独立した後、現ムセベニ政権が1986年に発足するまで、クーデター等が繰り返されてきました。ムセベニ政権成立後も、北部の反政府勢力が活動を続け、最も大きな被害を出したのが「神の抵抗軍」(LRA)による武力紛争です。これにより、1980年後半から20年を超える期間中、2万5千人以上の子ども達がLRAにより誘拐されて兵士にされたり、政府が地域住民を茅葺きのキャンプに強制的に移住させたことから、「世界最悪の人道危機」とも呼ばれました。この結果発生した200万人以上の国内避難民(IDP)の出身村への帰還・定住を促進するための支援や荒廃した社会インフラの整備が大きな課題となっています。

現地のミュージシャンとの交流―平和への熱い想い

成田空港を出発してからほぼ丸一日かけて飛行機を乗り継ぎ、ウガンダのエンテベ空港に到着。首都のカンパラまでは通常は1時間ほどで到着しますが、この日は雨が降り、カンパラ市内に入るや大渋滞に巻き込まれました。ホテルにチェックインしてすぐに、アンジェラ・カタトゥンバさんに会いに出かけました。

アンジェラさんは「Breath for Peace」に「For You Gulu(「グルの人々のために」)」を寄せてくれたウガンダの女性ミュージシャンです。裕福な家庭に育ち、欧米で教育を受けて帰国した彼女は、自国で今も傷ついている人々のために物資を集めて送るとともに、この歌を作りました。パワフルなアンジェラさんと会って、鈴木さんは「彼女のような前向きで行動力のある若い人がいてくれることに勇気づけられます」と話していました。

NUMAAとの出会い ~ 「Kuc Obed Tye(平和あれ)」~

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翌日、途中休憩を挟みながら約5時間、車で北部の中心都市グルに移動。そして今回の訪問の大きな目的の一つである、北部を拠点に活動するウガンダ北部音楽家協会(NUMAA)のミュージシャン達との対面を果たしました。出発前に鈴木さんは、現地の人達にとっては思い出すのも辛いはずの悲惨な経験を聞き出してよいのか、ずっと悩んでいました。

この日、NUMAAの若いミュージシャン達は、紛争当時の状況や彼らの身に本当に起こったこと-親を失う、撃たれて命を失いかける、LRAに連れ去られ少年兵にされる、意を決して夜中にLRAのテントを脱出し何日も歩き続けて戻ってきたことなどを、鈴木さんの目を真っ直ぐに見つめながら語ってくれました。彼らの歌の中には、LRAに指示されて家族や友達を殺した人達へ「憎んでいないから帰っておいで」と歌うものがあります。「その人達は敵ではないの?」と問う鈴木さんに彼らは答えました。「脅されて仕方なく従っただけなんだ。元々は皆、家族や友達だ。これ以上争っても何も生まれない、平和になることを選ぼう、ということだよ。」彼らは、アフリカならではのテンポのよい、踊り出したくなるリズムとメロディーにのせて、少年兵だった苦しみも、平和の大切さも全て包みこんで、人々に伝えようとしているのです。
今回、NUMAAのメンバーは一つの歌を作って鈴木さんの来訪を待っていました。曲のタイトルは「Kuc Obed Tye(平和あれ)」。歌詞は現地で使われているアチョリ語ですが、鈴木さんにも参加してほしい、とサビの部分「 Waribe me ngo ?(なぜ私達は共に生きるの?)(平和を創り出すため)」を一緒に練習しました。そしてその日の午後、ヌオヤ県アナカ村の大きな木の下で、2,000人近い村人に囲まれて、NUMAAのメンバーによるパフォーマンスとアチョリ伝統の踊りが披露されました。鈴木さんも村人と一緒に踊りの輪の中に入っていましたが、改めて紹介されると、アカペラで「ふるさと」を歌いました。その歌声に村人から大きな拍手が送られました。最後を締めくくるのは、NUMAAと鈴木さんが揃って歌う「Kuc Obed Tye」。何度も繰り返されるフレーズに、皆が手を取り合って踊りました。

この日を振り返って鈴木さんは「NUMAAのメンバーが話してくれたことは、自分の中ではまだ実感をもって理解できたとは言えない状態です。ただ、この地で、音楽が常に人々のそばにあり、励ましたり癒したりしてきたのだ、ということを直接感じることができました。」と話しました。

国内避難民(IDP)キャンプ – 紛争が生んだ傷跡

鈴木さんの北部滞在はあと一日。できるだけ多くの“現場”を見ておきたいと、未舗装のがたがた道を四輪駆動車で走り回りました。
最初に、ヌオヤ県アレロ郡にある元IDPキャンプを訪れました。キャンプといっても、この地域の人々が昔から住居としてきた「ハット」と呼ばれる土壁と茅葺き屋根の小屋で、円形の床は直径5メートルもありません。紛争時、政府は地域住民を保護するとの名目で、ハットを密集させてキャンプを形成し、一つのハットに大人数の家族を押し込めました。外に出ればLRAの人間と見なす、と言われた人々は自由に移動することもできませんでした。
20年にわたる紛争の後、外に出ても捕まらない、殺されない、とわかり、生まれ育った村への帰還が急速に進んだ一方で、土地の所有権を有する夫を失った未亡人やお年寄りなど、戻りたくても戻れない人達が今もキャンプがあった場所で生活しています。

鈴木さんは、地元の行政官の説明を受けながら「数年前まで、このようなハットが見渡す限り立ち並び、3万人もの人達が収容されていたとは信じられません。」と話しました。正確な数字を得ることは難しいのですが、9割以上のIDPが帰還済みと言われています。現在は、彼らが安心して帰還先で定住し、不安定な状態を再発させる要因になりかねないキャンプへの逆流を防ぐことが最大の課題となっています。
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日本の支援事業―「継ぎ目のない支援」を目指して

JICAはウガンダ北部でLRAによる被害が最も大きかったと言われるアチョリ地域において、UNHCR等の人道支援機関による援助が徐々に減少していく前から現地に入り、「継ぎ目のない支援」を目指して、2つのプロジェクトを立ち上げました。一つは、人々の帰還に不可欠な道路や橋の改修計画を地元の行政官とともに作成し、特に緊急性の高いものは実証事業として地元業者による改修工事を行うものです。LRAは村の全ての建造物を破壊しており、紛争後、村に戻ろうとしても流れの速い川に阻まれたり、あるいは無理に渡ろうとして命を落とすこともありました。実証事業として造られたトリ橋は、途中、数十年に一度あるかどうかと言われる大雨により工事の中断を余儀なくされながらも、今年完工しました。人々の帰還が進んだ今は、帰還先から病院やマーケットに行く上で欠かせないものとなっている、と通りがかった住民が話してくれました。鈴木さんは、「日本では当たり前のように橋も道路も整備されていますよね。それがなんてありがたい、gratefulという意味だけではなく文字どおり『有り難い』ことなのか、つくづく感じました。」と話していました。
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もう一つのプロジェクトは元々あったコミュニティの成り立ちを調査しながら、人々のニーズを汲み取りそれを実現することによって、地元コミュニティの再生を図ることを目指したものです。
このプロジェクトにより、ヌオヤ県ルリャンゴ村の小学校の校舎や教師用住居、井戸が整備されました。子ども達は、鈴木さんの視察の様子を撮影するビデオカメラに驚いたのか少し緊張した面持ちながら、大きな声で歓迎の歌を歌ってくれました。鈴木さんもお返しに「しあわせなら手をたたこう」を振りをつけながら、子ども達が一緒にまねできるようゆっくりと歌いました。外の木の下では、校舎に入りきれないクラスが英語の授業中でした。「英語の勉強は好きですか?」という鈴木さんの質問にはにかむ子ども達。ウガンダでは、社会に出て仕事に就く上で英語は必須です。瞳を輝かせながら授業を受ける子ども達をじっと見つめながら、鈴木さんは「この子達はウガンダの、そして世界の未来と平和を担っていく大切な存在ですね。」と話しました。
この小学校のほかにも、プロジェクトによりアムル県パボ郡に設置された給水施設や公共ホール、地方行政官用の宿舎などを視察しました。JICAスタッフの説明を聞いた鈴木さんは「援助で造られた施設が、現地の人々によってきちんと管理されて、いつまでも使えることが重要だとわかりました。そのためにも、計画段階から現地の人達を巻き込むことが大切ですね。」と話していました。

人道支援から復興支援、そして開発に向けた支援へ

現在、グルには多くの日本人技術者が滞在し、JICAの支援事業として、戻った先の村で水が手に入るよう井戸を掘る、あるいは教育を受けられるよう学校を建てるために、事前の調査を行っています。日本と違い厳しい生活環境の中で多くの日本人が、ウガンダ北部の人々が自立し、真に平和な日々を取り戻せるよう取り組む姿に、鈴木さんは「それぞれのパーツを繋げて一つの大きなアートを作り上げる作業のようです。」と話しました。
また、この日の視察の途中には、JICAと世界銀行の協調融資で改修予定の幹線道路も通りました。この道路は南スーダンに続いており、ケニア・モンバサ港で陸揚げされた物資が独立したての南スーダンに向けて大量に運ばれるため、損傷が激しく、また、穴にはまって動けなくなった大型トラックが道を塞ぐなど、劣悪な状態になっています。こうした周辺地域の物流の活性化は、ウガンダ北部の経済活動を刺激し、産業振興へ繋がることも期待されます。人道支援から継ぎ目ない復興支援へ、そして開発段階へ。ウガンダ国内でも特に開発から取り残されてしまった北部地域を、その状況に応じて支援していくことの意義が感じられた一日でした。
北部での全ての行程を終え、鈴木さんは地元のラジオ番組の収録に参加しました。鈴木さんは、自分が音楽を始めたきっかけを話した後で、今回の訪問の感想を聞かれ、「過去に紛争で多くの人命が失われた事を知って悲しみが込み上げましたが、同時に人々がそこから多大な勇気を持って立ち直ろうとしていることに心を打たれました。」と語りました。

今回のウガンダ訪問で思うこと―鈴木重子

どこまでも続く広い空と緑の大地、美しく、優しく、力強い人々。そしてその悲しい歴史。生まれて初めて足を踏み入れたアフリカでの体験は、人生や世界の見方を変えてくれました。紛争地から平和の歌を集めてきた私にとって、実際に争いの地に赴き、被害にあった方々のお話を聴くことは、これまでの活動の、血の通った本当の意味を実感する貴重な経験でした。また、紛争の痛手から立ちあがる人々を励まし、支援する、JICAスタッフをはじめ多くの方々が、いかに困難な状況と、さまざまな関係性のなかで、情熱を持って最善を尽くしているかを肌で感じました。年間三万人を超える自殺者の出る日本では『いのちの実感』というものが、薄れつつあるような気がしてなりません。『いのちの瀬戸際』を生きる人たちを真摯にサポートすることで初めて知る、勇気や思いやり、力強さ。それが、私たちのこれからを照らす、灯りとなるよう願っています。
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