• なんプロとは?
  • 世界が見えるトピックス
  • 著名人一覧
  • アクションから選ぶ
  • アジア
  • 大洋州
  • アフリカ
  • 中米・カリブ
  • 南米
  • 中東・ヨーロッパ
  • メルマガ登録

ミャンマーのじゃんけんは「虎・上官・銃」!

ミャンマーのじゃんけんは「虎・上官・銃」!

じゃんけんはジェスチャーで勝負

ミャンマー日本人にお馴染みのじゃんけん。公平に選抜しようとするときは、いつもじゃんけんが登場します。じゃんけんは世界でも行われていて、様々なバリエーションがありますが、ルーツは日本だという説があります。日本のじゃんけんは「グー・チョキ・パー」が一般的ですが、アメリカでは「Rock-paper-scissors」(岩・紙・はさみ)。日本と同じように、Rockは手をグーに、paperは手をパーに、scissorsは手をチョキの形にして出し合って勝敗を決めます。ドイツや中国などの諸外国でも、オリジナルのルールが乗っかることもあるようですが、基本的には日本と同じように、手を「グー・チョキ・パー」の三つの出し方にして、勝敗を決めているようです。
さて、「グー・チョキ・パー」ではないルールで発展したのがミャンマーのじゃんけん。ミャンマーでは、虎(ジャー)、上官(ボー)、銃(タァ ヌァ)の三つで勝敗を決めています。虎は上官に勝ち、上官は銃に勝ち、銃は虎に勝ちます。また、手を出すだけではなく、それぞれジェスチャー付きで勝負。虎は「ガオー!」と頭の上から手をかざし、上官は腰に手を当て、銃は構えているポーズをして戦います。なんだか可愛らしいじゃんけんスタイルですね。

 

 

2015年の総選挙によって、大きく変わろうとしているミャンマー

ミャンマーミャンマーとはどういう国なのでしょうか。ミャンマーは中国とタイに挟まれた、人口5,000万人の東南アジアの国です。長くイギリスが統治していましたが、次第に独立化の機運が高まり、1942年に「ビルマ建国の父」として有名なアウン・サンが日本軍と共に戦い、ビルマからイギリス軍を撤退させます。そして1943年に日本軍の後押しのもと、ビルマ国を建国するのです。その後も混乱は続き、1945年には再びイギリス領に戻るも、1948年にはイギリス連邦を脱退してビルマ連邦として独立。その後は軍部が政権を握るという独裁政治が長く続きます。
ノーベル平和賞を受賞したことでも有名なアウン・サン・スー・チーさんは、「ビルマ建国の父」アウン・サンの長女。ミャンマーの民主化の指導者として、スー・チーさんは1988年に民主化を願う学生や市民の前で演説を行いましたが、翌年には自宅軟禁されてしまいます。その後も軍事政権との対立によって、スー・チーさんは何度も自宅軟禁の身となり、ノーベル平和賞の授賞式にも出席できませんでした。スー・チーさんが演説を行った翌年の1989年に、ビルマは現在の国名であるミャンマー連邦への改名を行っています。
半世紀続いた軍事政権でしたが、2015年秋にミャンマーは総選挙を行い、スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝しました。この結果によってミャンマーの未来が変わっていくものと、全世界が注目しています。

 

 

ミャンマーを感じることができる「リトル・ヤンゴン」

ヤンゴン新宿区高田馬場は、東京のヤンゴン(ミャンマー最大の都市)として、「リトル・ヤンゴン」と呼ばれているのをご存知でしょうか。高田馬場駅周辺には、ミャンマーから来た人々が移り住み、ミャンマー料理を出す店や、食材や雑貨をそろえる店が集まっています。彼らはなぜ、ミャンマーから遠く離れた東京にやってきたのでしょうか。
2015年にようやく本当の意味での民主化の兆しが訪れたミャンマーですが、それまでは長く軍事政権にありました。軍事政権はミャンマーの経済状況を悪化させ、人々の生活を苦しめました。民主化を願う国民に対し、軍事政権は厳しい弾圧を行いました。現在、日本にいるミャンマーから来た人々はそうした弾圧から逃れた人たちなのです。なお、2016年に発表された法務省のデータによると、2015年に日本に難民認定申請を行った7,586人のうち、808人がミャンマーから来た人でした。また、難民と認定されなかったものの、人道上の配慮を理由に12人が日本での生活を認められています。
ようやく民主化の未来が見えてきたミャンマー。彼らが祖国に帰れる日は近いのかもしれません。

 

 

関連トピックス