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世界が見えるトピックス 特集

「気持ちを大切にできる幸福な仕事」JICA 南アジア部計画課 日浅美和さん

私たちが普段生活していくなかで、なかなか自分ごととして捉えることの難しい「国際協力」「途上国支援」。はるか遠い国の出来事のように感じられてしまう現状があるのかもしれません。けれども、実はそこには、懸命に汗を流す日本人の姿があり、国境を越えた人と人のつながりがあります。今回の「世界が見えるトピックス」では、<セカイプラス~なんとしなきゃ!プロジェクト座談会>で司会を務めていただいたJICA 南アジア部計画課 日浅美和さんにインタビュー。新聞記者を経てJICAで働くことになったという日浅さんは、これまでどんな気持ちで国際協力に取り組んできたのか。ネパール駐在経験や現在のお仕事について伺いながら、彼女の思いに迫ります

 

<セカイプラス~なんとしなきゃ!プロジェクト座談会>の動画はこちら ▼
http://nantokashinakya.jp/sekaiplus/zadankai01

 

 

―先日は座談会の司会を務めていただきありがとうございました。ゆうたろうさん、古関れんさん、柴田紗希さんのお話を聞いていかがでしたか?

三人とも国際協力にとても理解があって嬉しかったです。また、若い方たちは誰かのために何かをしたいという貢献意欲を純粋に持っているのだなと勉強になりました。自分の周りにいる若い子たちにも、途上国支援が、実は私たちの身近な生活にもつながっているということをもっと話せたらいいなと感じています。
―日浅さんは20代前半の頃、そういった意識をお持ちでしたか?
私自身は学生時代、沢木耕太郎さんの『深夜特急』に大きな影響を受けてバックパッカーをしていたので興味を持っていた側の人間だったと思います。いろいろなアルバイトを掛け持ちしてお金を貯め、長期旅行に出かけるという繰り返しで。大学時代の四年間の思い出は、ほとんどバイトと途上国への旅(笑)。同級生からは少し変わったやつだと思われていたかもしれません(笑)。
―学生時代から途上国に強い関心を持っていたわけですね。大学卒業後は、新聞社に入社されたと伺っています。
ええ。新聞記者を目指したのも、学生時代に途上国の現状を目の当たりにしたからです。現地のことを日本に伝えていきたいなと。ただ、入社後、実際に担当することになったのは政治や事件といった分野でした。もちろん、それはそれですごく楽しくて充実していたのですが、やはり途上国にかかわる仕事に就きたいという思いが勝り、社会人7年目のときに中途採用でJICAに入ったんです。
―JICAに転職していかがでした?
当然わからないことだらけでしたから、自分の担当する国や分野についてのレポートを読み、専門家やコンサルタント、先輩等知見を持っている方から教えていただくことの繰り返しでした。相手国の担当者と丁寧に対話していくことも強く意識していましたし、事務所スタッフに直接問い合わせをしたりもして……。色々な方たちに話を聞くのが重要という意味では、新聞記者時代の経験が活きたような気はします。

ネパール事務所勤務時代

―具体的にJICAではどのような仕事を手がけてこられたのでしょうか?

最初は地球環境部に配属され、中国や東南アジア諸国の環境プロジェクトを担当しました。それから2年ほどしてネパール事務所に駐在することに。当時は、ネパールの王政が崩壊して新しい体制が立ち上がったタイミングで、主に平和構築、ガバナンス等国づくりの分野や上水道分野を担いました。
―途上国で実際に暮らすことと、バックパッカーで旅をするのとでは大きな違いがあったかと思います。
バックパッカーのときは観光地しか訪れませんでしたから。実際に3年半住んで、現地の生活者の視点を知ることができたのは非常に貴重な経験でした。毎日、その国のニュースを観て、その国の人々と話をし、ローカルのものを食べ、電力や水不足が深刻だったカトマンズで実際に暮らすことによって、その国の人々の生活を改善していくための課題の重要性をまさに実感できました。
―なるほど。

 

 

また、現地のフィールドに行ったことは、自分にとってもっとも大切な体験でした。ネパールは出稼ぎ国のため、男性の多くは海外に働きに出ています。実際、私が訪れたある農村には、老人と女性と子どもしか住んでいませんでした。ですから、男性からの仕送りはあるにせよ、基本的には残された方たちだけで農業を営み、その村の生活と生計を支えていたわけです。私がそこで目の当たりにしたのは、みなが貧しいなかにあっても、さらに存在する格差でした。私たちが最初にお話をする村の代表や政党の代表は、比較的豊かでカーストも高い方たちです。一方で、本当に貧しく、身分制度で虐げられている方たちもその村にいました。それは、バックパッカー時代には絶対にたどり着かなかった光景です。そういう方たちにまで支援を届けるためにはどうすべきなのか。国際協力の原点とも言うべき課題について非常に考えさせられました。

ネパールで活動するボランティアたちと

―3年半の駐在のなかで印象的だった現地の方はいましたか?

当時、JICAのネパール事務所のスタッフとして働いていた現地の女性ととても仲良くなりました。私と同世代でシングルマザーだった彼女は、とても優秀で。ネパール政府の役人ともうまく人間関係をつくってくれましたし、一緒にジェンダーの案件を立ち上げたり、紛争解決のプロジェクトをはじめたり……様々な地方に出張もしました。現地の関係者とカレーやチャイをいただきながら、話し合いを重ねるときにも彼女のコミュニケーション能力に大いに助けられました。また、一緒に働いた事務所の仲間も、とても優秀で、ネパールに熱い思いを持っている素敵なメンバーで、夜な夜な作戦会議をしたり(笑)。事務所一丸となって、日本の本部や専門家も巻き込んで、新しい国づくりを支援しようと色々な案件を立ち上げることができました。
―素敵ですね。その後、帰国されてからはどのようなお仕事を?
2010年に帰国してからは、内戦後のスリランカの平和構築支援や、防災、保健といった分野を手がけました。保健の案件では、スリランカ政府から、「救急車を100台なんとかできないか」と要請されまして……スリランカのような国土の狭い国だと、患者を中核病院にいかに早く輸送できるか、つまり、道路と輸送手段が大切です。だから、救急車が役に立つのは確実だったんですけど、100台ですから……。関係者と相談しながらなんとか実現にこぎつけました。現地から、その救急車が走っている写真を送ってもらったときには嬉しかったです。その後、二人の子どもを出産したこともあって、現在は、予算や計画の調整といったバックオフィスの仕事をしています。
―救急車は、非常に多くの方々の命を救ったのでしょうね。それでは、改めて、現在のお仕事をされているなかでの喜びを教えてください。
新聞記者時代にもっとも感じたもどかしさは、外報ニュースが限られていることでした。特に途上国のニュースは伝わりにくく、アジアでも特派員は地域に数名程度。ですから、日本に伝わってくるニュースは限定的です。途上国のことをもっと知りたいという思いを持っていましたが、日本では相当意識をしないとニュースや情報に触れることができませんでした。なので、JICAの仕事で、その国に住み、途上国の抱える課題を学び、相手国の人と一緒に考え続けられるのはとても幸せなことだと感じています。事務所員時代、現地の方々に加え、国際機関やNGO、記者、日本のそれぞれの分野での専門家の皆様とも様々なレベル・形での意見交換をでき、現地のことをたくさん学ぶことができました。
―それだけ現地の生活に密着しているということですね。
ええ。また、途上国の課題にたいして、日本がお金を出すだけではなくて、その解決方法まで先方の政府の人たちと一緒に考えていけるのは大きなやりがいです。そんなことができるのはまさに相手国からも高い信頼を得てきているJICAならではだと思っています。気持ちを大切にできるという意味でも、JICAで働けることは非常に幸せなことだと感じています。現在の私の仕事は、仲間をバックアップする業務が中心ですが、途上国の課題解決のためにスタッフが少しでも動きやすくなるような業務にやりがいを感じています。

―たしかにそうですね。

機会があれば、新聞記者の経験も活かし、広報的なところでも貢献できたら嬉しいなと考えています。日本の様々な専門家やコンサルタントの人たちが、こんなに様々な分野や国に、人生をかけて国際貢献している話はもっといろんな方に知ってもらえるといいなあと思っています。専門用語や数字的な話だけでなく、「普通」の人にも伝わるような話、途上国支援にまつわるヒューマンストーリーなどを発信していけるようなことができたらいいのではないかと思っています。
―ありがとうございました。

 

 

 

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